ボクの独り言 #01
木村硝子店3代目社長である木村武史が、思ったこと、考えたことをぽつぽつ呟きます。
聞き手・吉田佳代
木村 武史(きむら たけし)
1943年東京生まれ。木村硝子店3代目社長。
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僕が影響をうけた言葉1「知性」
知っていることと、知らないことの境界線
学生時代にのめり込んだ授業が1つだけあった。
もう半世紀以上も前の話になるわけだけれど、今思うとのんびりした時代だったね。僕はバロック音楽を演奏するグループで、リコーダーを吹いていた。メンバー四人のうち二人が法学部で、「とにかく面白いから」と彼らに勧められたのが、政治学者の尾形典男先生の授業だった。
今となっては細かい内容を思い出せないのが残念でならないけれど、当時とにかく引き込まれて、授業の間は目が冴えて必死にメモしていた記憶がある。1年間聴講して翌年も通ったほどだったから余程だったんだろう。もちろんモグリでだけど。
そこで意識するようになったのが、「知性」「客観」「科学」という3つの言葉だった。それまでも普通に意味を理解しているつもりでいたけど、そうではなかったと気がついて、頭をガツンとやられたような心地だった。
尾形先生は、文学者の臼井吉見さんの著作を用いて「知性」について話してくれた。
「知性、すなわちインテリジェンスとは何か? それは、知っていることと知らないことの区別がついているということである」という内容で、これは僕にとって衝撃だった。
社会に出てからのほうが、この言葉について考える機会は増えたように思う。日々、仕事でいろいろな人と会うなかで、「知っていることと知らないことの境界線がない人って意外に多いんだな」と感じた経験が、少なからずあるからだ。その人の感覚もあるかも知れないけれど、僕からみて「全然知らないじゃん」と感じることでも、本人は「知っているつもり」だということ。相手だって、僕に対して同じように感じたことがあるかも知れない。
自分という人間が、ある物事についてどこまで本当に知っているのか、実は知らないのか、常に広い角度から検証しないことには、実際のところはわからないのではないか。
反対に、「自分はこれ、よく知らないんだよな」と思っていたのに、「よくわかってるじゃない」と言われることもある。そういう場合だって、そのまま受けとってよいのか僕にはわからない。
たぶん人は、いつでも自分を怪しいと疑っていたほうがいいし、「知っているってどういうことなんだろう」、「自分は知っているのと知らないのとどっちなんだろう」と問い続けたほうがいいように思う。それこそが、「知性」につながるヒントなのかも知れないよね。
<参考>
*「あたりまえのこと」(臼井吉見著/新潮社1957)
*「自分をつくる」(臼井吉見著/筑摩書房1979)
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吉田 佳代(よしだ かよ)
フリー編集者、ライター。
東京生まれ、立教大学卒業。
出版社勤務を経て、2005年に独立。食からつながる文化や暮らし回りを主に扱う。書籍や雑誌、広報誌などの編集のほか、インタビュー取材も多い。