ふむふむ、木村硝子店のなかまたち。#010《後編》
第10回 後編
前編はこちらから
日野明子(スタジオ木瓜・ひとり問屋)×木村武史(木村硝子店社長)
「道具も器も使ってなんぼです」、と話す日野さん。ひとり問屋として、モノを広め続けてきた日野さんの仕事は、展覧会をすること以外に、書くこと、話すことほか、さらなる広がりを見せているようです。後編は、日野さんの今と、問屋のこれからについて語り合います。
変化してきた展覧会のテーマ性に、
問屋の目線で向き合う
木村 展覧会のテーマは時代で変わってきた?
日野 はい。最初の10年は、個人作家さんを扱うことが多かったですね。それが、2007年あたりから、じわりじわりと地場産業の職人さんと作家さんとが入り混じるようになってきました。
―印象に残っている展示はありますか?
日野 「つくる ABC、つかうイロハ」という展覧会が象徴的でした。
「つくる」場面に関しては、十一人の作家さんの工房の制作現場を動画で撮影して、会場で上映しました。一方で、「つかう」場面に関しては、土鍋や鉄瓶、漆器といった、扱いづらい印象の強いアイテムを取り上げたのですが、展示したのは実際に私が使ったものでした。「こんなにヒビが入っても使える」、「鉄瓶の赤錆が出ても、緑茶を沸かして、錆止めすれば、赤くても使い続けられる」といった使用感の状態など、現在のライフスタイル誌で特集されているようなことをまとめた企画展で、このあたりから私の仕事が変化してきました。
木村 でも、スタイルは変化しても、展示はどれも日野ちゃんの目線なわけだものね。
日野 2010年には、スターネットの馬場さんから台所道具の展覧会の依頼がありました。今までと決定的に違っていた点は、「作家ものなしで行う」というということでした。
また、以前ハイアットリージェンシー京都というギャラリーがあったのですが、そこでは、工藝的なものと職人的なものを両方扱いたいということで、「ひとり問屋の表と裏(2013)」という展示を開催してくださいました。これは、職人のものもあれば作家さんにも出展していただくなど、さまざまな側面から私の扱う世界を表現するというものでした。
木村 そうなんだね。でも、いろんなことに問屋の経験が生きているでしょう?
ネットの普及で、
顧客と作家の距離感が縮まる
日野 そうかもしれません。でも、個人作家さんの取引は減ってきましたね。インターネットの普及で作家さんが自己発信できるようになり、直接顧客と繋がることができるようになったことも大きいです。「問屋いらないな」と感じるようになってきたのも事実です。
また、作家さんの場合は、数年経つと形や絵付けが変化することがあって。私は、在庫を多くは持てないので、継続が難しいという事情もあります。
木村 なるほどね。
日野 つまり、私がギャラリーではなく問屋である以上、今後もお客様からリピートがあるかもしれない。後になって作家さんの負担にならないよう、初回は取り引き先の注文数より多めに仕入れて在庫にするということをよくやります。でも、そのロットが終わって久しぶりに注文すると、仕上がりに変化があるわけです。こういったことを何度か経験して難しいなと思って。あくまで問屋の立場としてですが。
木村 展覧会の場合はどうなの?
日野 展覧会の場合は、ここぞと個人作家さんとおつきあいさせていただきますが、個人ギャラリーの展示のために仕入れて在庫を持つことはないです。
日野 欠品が多い工房の場合は多めに仕入れておく場合もあります。木村硝子店さんの「コンパクト」もその1つです。在庫は増えてしまうのですが、現在お取り引きしているお店は、定番を変えないところも多いので、大きな負担はないといいますか。
木村 どういうこと?
日野 私の仕入れのキャパシティもあると思うのですが、今在庫を持っているものは、現在の取引先に卸すのでちょうどいい程度の数、もしくはたまに欠品を起こすくらいの仕入れしかしていないんです。ベースになっているのは、十数年のおつきあいのお店のためなのです。まあ、注文分だけ仕入れていれば在庫はゼロになりますが、それでは成り立たないので、送料がかからない程度は仕入れをします。
木村 なるほど。
日野 先日、取引のある作り手さんが懇意にしている地方のお店を紹介されました。上京する機会があるということでお会いしたところ、良い方でしたのでご協力できることがあればという話になったのですが。今の私には、卸すお店が一軒増えるということが結構な負担であることに気づいて、結局フェイドアウトしたんです。ちょっとキャッチボールがうまくいかなくて。
―それは、在庫アイテムの数や種類が増えるせい?もっと別の意味ですか?
日野 いろんな要素があります。その方がどのくらいの商売をされているのかわからないのですが、もしもガサッと注文が入ったら、今の私の取引先のお店に迷惑がかかります。かといって、現在の仕入れを一気に増やそうとしても、私が付き合いのある作り手さんはそこまで対応できるところではないのでバランスも崩れてしまう。
取引のベースになっているお店はいくつかありますが、お店が違う以上、別のものを欲しがると思うんです。すると、仕入れ先が同じだとしても種類が増える訳です。扱うこと自体がちょっと負担であったり。
問屋という商売の面白さは、
卸す店によってモノが違って見えること
木村 僕思うんだけれどね。「なんかいいな、またここ来ようかな」と感じる店というものは、オーナーの周波数と顧客の周波数があっているということなんじゃないかと思う。そういう店は客が離れないよね。一方で、売れるからという理由で品揃えをしているような店は、時期が来ると立ち行かなくなる。
日野 そうですね。問屋の面白さというのは、同じアイテムもお店によって見え方が違ってくるという部分かもしれません。価格が同じでも、それがある店では高いと言われ、別のお店では安いと言われる。基準がや見え方がお店によって違うんです。
木村 そして、セレクトこそに意味があるよ。いろいろ話を聞いてきて思ったけど、日野ちゃんがお店をやるという選択肢はないの?
日野 こういう仕事をしていてこんな話をするのも変ですが、私、並べるのがあまり得意じゃないんです。いろんなお店の方とお付き合いさせていただいて、自分の店を上手に見せられる方たちを見ていると、自分にはどうなのかと考える部分もあって。
好きなものだけ集めたら、
ゴミの山にはならない。
木村 どうなんだろうな。並べ方は関係ないんじゃない?自分で好きなもの、要するに、日野ちゃんが好きなものだけ集めると、それってぜんぜんゴミの山にならないんだよ。
日野 まあ、まとまりはつくんでしょうか。
木村 面白い話があるんだよ。京都の駅の近くに青物市場があるのだけど、そこに飲食店向けの食器店があってね。漆の器も陶器の器も、1つ1つがすごくいいのね。とある食器店の社長と一緒に行ったとき、「ここって、ディスプレイぐちゃぐちゃなのにさ、よく見えるんだよな」って。そのときに、宝の山とゴミの山のことを思い出して。
日野 なんでしょう。
木村 要するにさ、宝石とかアクセサリーとか銀のカップや金のカップや、そういったものは、ごちゃごちゃに置いておいても文字通り宝の山なわけでしょう?けれども、新聞紙や紙屑の入ったゴミ箱をひっくり返したら、どうみてもゴミの山なんだよね。その話を小松誠さんとしたことがあって。小松さんが、「同じ新聞紙でも、ちぎって山にしたらゴミの山にはならないんだよね」って話していたことを思い出した。その食器屋さんも、ディスプレイ考えなくてもいいわけ。
日野 はい。
木村 つまりね、日野ちゃんが好きで集めたものを並べたら、決してディスプレイは悪くないんだよ。やっぱり日野ちゃんの好き嫌いの周波数というものはあって、それが客を惹きつけるんだよ。これがぼくの考えね。
―木村さんは以前、「問屋はお店とは違っていい」というようなお話をされていたことがありました。
木村 商売人としての問屋の良さというのは、店の規模や広さとは無関係に、在庫がありさえすればいくらでも売れるという部分。例えば、レストランだったら敷地内にしかお客は収まらないけれど、テイクアウト店は何百人とお客が来ても売れる訳だよね。うちの場合は、オフィスで待っていると注文が入ってくる。注文が数百あっても対応できるということだ。
問屋の仕事で大切なのは、仕入れ先と得意先との間のクッションにどれだけなれるかという部分だと思っている。両方のリスクを取り込んで、仕入れ先も得意先も安心して付き合える問屋でないといけないと言えばいいのかな。ある意味で問屋は、保険業のようなところがあると思う。
個人の問屋のありかた、
どうあるべきか?
木村 今僕は、木村硝子店の話をしたけれども、日野ちゃんのポジションは相当大変な商売だと思う。日野ちゃんがリスクを負うって大変なんだよね。だから、小売店をしながら卸をするというのは悪くないと思うけどね。
日野 本当はそうかもしれないですね。
木村 そう。そうすると、在庫を小売り値段で得ることができるよね。今うちは、その方法でネットショップを展開している訳だけれども、それと同じだよね。日野ちゃんは小売店を持って、ネットで商売もし、小売業でも商売をし、卸もやっていく方法がいいかもしれない。
日野 でも私は、手の内をさらすのが嫌なんですよ。私の取り扱い品がコレですというのを全て見せることが性に合わなくて、隠れて「このお店にはこれだけ」、「ここにはこれだけ」というふうにしたいんです。
木村 いや、だから、手の内を全部見せない範囲の小売店をやるという意味だよ。
日野 明らかに日野がいつも扱っているものだ、という範囲でだけでしたらいけますかね。
木村 だって、小売店って広さが決まっているんだから全部見せるのは無理じゃない?見せたくないものは見せずに、見せてもいいものだけを見せたらと思うけれど。
日野 ただあともうひとつ、お店に対しての敬意がすごくあるので。ずっと私から仕入れてくださっているお店を侵害してはいけないという気持ちがあるんです。
木村 そこは難しいけどね。僕はオンラインショップを最初からやるつもりでいたけれども。あるとき、売りのいい問屋の社長さん数名から「木村さん、どうしてネットで売らないの?」って訊かれて。
日野 はい。
木村 そうね売りたいね、と答えました。「やらなきゃだめだよ木村さん、あたりまえの時代だよ」と言われて。でも、卸をやっている彼らにしてみたら、競争相手になる訳だよね僕が。なのに「やるべきだ」っていうんだよ。
日野 それはどうしてでしょう。
木村 どうだろう。でも、あそこまで売り上げのある問屋さんの理解があるならそれでいいのかな、と思って始めたね。
日野 普段、木村硝子店さんのショールームにいらっしゃるのは、問屋さん経由のお客さんも多いのですか?
木村 もちろん。普段、問屋さんが来ずして、お客様だけを直接うちのショールームにご案内くださる。するとみなさん、実物を見て選ぶでしょう。それを問屋さんに注文するわけ。そうすると、問屋さんはうちから仕入れるわけです。うちは、問屋さん経由でお客様にモノを売りますよ、という姿勢を貫いているの。
日野 そうですね。業務用の問屋さんと小売店の問屋さんの違いはあると思います。小売店のように、商品を1つ1つ丁寧に販売しているのと、業務用で、グラス以外のさまざまなアイテムも注文する中に木村硝子店のグラスが入ってくるのとまた違いますよね。
木村 そうね。そこよく考えてみる。難しいところだよね。
日野 社長の話はいつも頷かされます。今のお話もなるほどと。それこそ、木村硝子店さんのウェブサイトをカタログがわりに見て、私のところに注文してくる方もいますので。
木村 うちのグラスは、うちでも日野ちゃんでも合羽橋でも、どこに買いに行ってもいい訳だけれど、合羽橋で7掛けで売っているものを、小売の値段で買っていく人もいる。うちの商品をうちより安く販売しているサイトがあったとしても、うちから買う人がいる。そこに意味を見出す人もいるしね。本店で買いたい人なんかもそうでしょうね。
日野 確かにいろんな考え方があり、状況がありますよね。ただ、私はお店に頑張って欲しいんです。私は、街の中にお店があるということ自体が、自分が生きる上、旅する上での活力になるので。
木村 でも、こんな時代なのだから小売店も戦わないと。わざわざ買いに行くということの意味をよく考えないと。どんなにお店ができても、沈没しない人はいるわけですからね。
日野 いますいます。
木村 かつて、手吹きのワイングラスが1,500円くらいの頃、とある会社でマシンメイドのグラスを450円くらいで販売していたの。手吹きの注文は減り、工房もどんどんなくなった。当時の問屋は、それぞれの良さを考えず、どちらもただ、「ガラスのワイングラス」としか捉えていなかった。
日野 どうなったのですか?
木村 僕は父に相談もせず、勝手にデザインをして、隠れて60種類以上のプラチナラインを作ったの。手吹きだからこそ、少ロットでああいったものができる。当時、フランス料理の修行から帰国した料理人たちが続々とレストランを開店していた時期だったけれど、日本には使えるグラスがなかった。そこに、まさにプラチナがはまって売れた。価格的には3倍以上のものだけれどもね。僕が30歳前後の話だから、時代が違う話ではあるけれど。
日野 それはすごい!
自分自身の商売のスタイル、
好きなモノ、人を大切に
日野 私の問屋のスタイルとして、まず、「納める先にこれがあったらいいな。あのお店にこれがあったらいいな」というような視点があって。
木村 日野ちゃんの色がお店にも入っているものね。むしろ、小売店さんは、日野ちゃんの色を買いに来ている訳でしょう?
日野 そういう部分もあると思います。
―その部分の日野さんの仕事にお金が支払われているということですよね。
日野 最近、たまに「日野ちゃんあそこのプロデュースしたの?」みたいな質問を受けるんです。行ってみると、確かに、私がほかの展示会で選んだものが、そのまま並んでいるようなお店があったりします。
木村 それはあるだろうね。でも、そこはカリカリしている暇はないし、あくまでも自分の目は自分でしかない訳だから。その人たちはコピーしかできないし、組み立てられないんだと思うよ。
扱うものについては、日野ちゃんが問屋として光って見えるモノを考えるといいように思うけれど。日野ちゃん自身の提案する道具とかどうだろう。例えば、製造はメーカーさんにお願いするとして。何か、そういったものを作っていけばよいのじゃないかしら?
日野 確かに、今までその発想はなかったです。
木村 そういうものを持っていると、それは日野ちゃんからしか卸せないわけだから、問屋として強いと思うよ。
日野 確かに。今までは、工房に遊びに行って、工房の片隅に売れないと言われて残っていたようなモノを探し出して日の目をみせさせるような、隠れた宝探しのようなことがモチベーションになっていました。でも最近はみんなネットに上がるようになって、うつうつとしていて。社長がいまおっしゃったような、「自分からしか卸せないものを作る」ということを、これからの10年計画で考えるのも良いかもしれませんね。
―日野さんの理想にあてはまる形を1つ1つ製品化されたらと思ってしまったのですが。
日野 人によって、物事のベストサイズってまちまちですし、ベストと思っていたものが、何かのきっかけで突然合わなくなる。全く使ったことのない器を使うようになったりとか。
木村 日野ちゃんが持ってくるものを、本当の意味で輝かせてくれる人は少ないのではないかと思う。すると日野ちゃんは問屋として食いにくい。
日野 私が思うのは、やはり、いい作り手がいないと問屋をすることはできないということです。作ってくれる人とモノを輝かせてくれるお店があっての問屋だと思うんです。
お店のサポートは楽しいですが、小売店の喜びであり苦労でもある、一般顧客への対応の煩わしさをゆだねてもいるわけですしね。お客として楽しいお店が残ってくれることを期待しつつも、新しい取引先は増やせないという矛盾も抱えているわけですし。
しばらくは、まだまだ見つかっていないものはあると思うので、そういうものを表舞台に出す役割との追いかけっこだと思います。
木村 それは確かにそうだね。ただ、自身をどう輝かすかを考えるべきで、僕の話した方法はその1つだということかな。
日野 結局のところ、問屋以外(文章やトーク、地場産業のアドバイザー)の仕事と相互的に補填して、今の私は成り立っているように感じます。
問屋としても作り手に会いに行きますし、文を書く取材のために行くこともあります。仕入れの連絡の場合は会ってくださらない方でも、取材ならお会いできたりすることもありますし。どれが欠けても、どれも成り立たないような。結局、全ての仕事がそれぞれあって、今の自分があるのかも知れませんね。
●対談を終えて
小売業のしくみは、小学生の社会の時間に学んだのが最初かもしれません。でも、今回の取材を通して、自分が何も知らなかったのだと改めて知ることになりました。
日野さんが「ひとり問屋」という商売をなさっていることは存じ上げていましたが、それがどのようなものか、具体的には知らずに今まで来ていたのだと。どんな商品も、作り手がいて、売り手がいて、間には、思いを伝えてくれる問屋さんの存在がある。この、当たり前のことがとても難しい。大変勉強になりました。
聞き手・構成・文 吉田佳代
【プロフィール】
日野 明子(ひの あきこ)
1967年神奈川県生まれ。湘南育ち。共立女子大学卒業。
松屋銀座の<クラフトマンハウス>という売り場が好きで、1991年、子会社である松屋商事株式会社に入社。松屋商事がiittalaの輸入総代理店になったばかりのタイミングだった。iittalaの営業担当からスタートし、以後さまざまなクラフトや工芸品などを扱う。松屋商事解散まで営業職を担当した。木村硝子店との縁もあり、「ひとり問屋」として独立。四半世紀が過ぎた。現在、活動は問屋業にとどまらず、執筆、講演、キュレーション、地場産業のサポートまで多岐にわたる。
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そのほかの『ふむふむ、木村硝子店のなかまたち。』記事はこちらから。
ライターの吉田佳代さんによる、木村硝子店とその周りの人々のおはなしの連載。
吉田 佳代(よしだ かよ)
フリー編集者、ライター。
東京生まれ、立教大学卒業。
出版社勤務を経て、2005年に独立。食からつながる文化や暮らし回りを主に扱う。書籍や雑誌、広報誌などの編集のほか、インタビュー取材も多い。