ふむふむ、木村硝子店のなかまたち。#04
第4回
深田恵里(ジュエリー作家)×木村武史(木村硝子店社長)
円に切った豚革を重ねたユニークなリング、
廃材をベースに考え出された、パイプのネックレス、
サテンリボンから生まれた蛇腹のブローチ……。
身につけたときと、そうでないときとで全く違う表情をかもし出す
深田さんのジュエリーには、「自由に考えて使って欲しい」という、
モノとヒトとの距離感を、持ち主にぽんとゆだねる潔さがあります。
その独特な個性はどこから生まれてきたものなのか、秘密をひも解いてみます。
ジュエリーというパーツを身につけることで、
自分自身の姿が完成するイメージがあった
―深田さんの作品は、具体的なモチーフのあるアクセサリーとは一風異なりますよね。
普通に置いてあるときと身につけたときとでまったく印象が異なるのも興味深いですし、単純な、幾何学モチーフの繰り返しだけで成り立っているなど、シンプルさが追求されているのも気になっていました。
深田 わたし、もともとジュエリーに興味があったわけではなくて、ふとしたときに「自分のつけたいものがないからつくろう」と思ったのが最初なんです。
木村 そうなんだねえ。なにか思いがあってつくりはじめたの?
深田 「パーツのようなかたち」を身につけることで、自分が完成するようなイメージでしょうか。どちらかというとトータルのバランスなんです。模型のパーツやマケットをたまたまはめているような、そんな感覚かもしれません。たとえば、おいてあるときは平面なのに、人やモノが加わることで立体に変化するとか。ですので、「これは腕につけるんじゃなくて、こうしたほうが面白い」って、本来とは違う使い方をしてくれるのは大歓迎。ネックレスなども、インテリアとして壁にかけて飾っているとおっしゃってくださった方がいて、そういうのすごく嬉しいんです。使い方を決め付けたくないというか、想像力を働かせてもらえるほうが。
―なるほど。使い方を決め付けられるよりも、付き合い方を自分自身で噛み砕けるほうが、その人なりの普遍性が生まれてゆきそうです。
深田 それから、色使いに関して、わたし、奇抜だと思われることが多いのですが、たとえば花とか、海洋生物のようなもの、自然界に存在するものって実際には奇抜な配色が多いですよね。だから私のなかでは、それが自然だと思っているのですけれど。
木村 深田さんの作品はなんといっても色合いがきれいなんだよね。僕はジュエリーのことはよくわからないのだけれど、ちょっと変わったこの色使いが分かりやすかったの。同じ黒でもさ、深田さんの色っていうのは、ひとつひとつが違う。
―色の数が多いわけではないのに、バランスによって表情が無限になる印象がありますね。通常は、同じものをいくつもおつくりになるのですか?
深田 基本的には一点ものです。同じシリーズという形では制作しているのですが、すべて、色の微妙なニュアンスやバランスを少しずつ変えているような感じでしょうか。
ものづくりのルーツは
幼稚園時代から。
深田 わたし、モノづくりの方向へ進む予感のようなものは、幼稚園の頃に芽生えていたと感じているんです。
木村 どういうこと?
深田 とにかく幼稚園のときの記憶が色濃くて。この話をすると「えー!幼稚園なんて何したか覚えてないよ!」って大抵言われるのですが。小学校時代の記憶ももちろんありますけど、幼稚園の頃に比べたら、ないに等しいくらいで(笑)。
木村 実は、この対談に今まで出てくれた方々は、みんな幼少のころの記憶が鮮明なんだよ。大成するひとっていうのは、小さい頃にもうある程度完成しているのかもね(笑)。
深田 いえいえそんな。でも、つくったことや、つくったもの、描いた絵の記憶は鮮やかです。そういえば、逆に、作って怒られた経験もあって。これも自分の中では濃いですね。
―誰に怒られたのですか?
深田 幼稚園の先生です。節分で、自分たちがかぶる鬼の面を作っていたんです。好きにつくればよいということだったので、いろんな色の折り紙を細かく切って、お面に貼り付けていたんです。そうしたらすごく怒られて。細部は忘れてしまったのですが、「こういうのはよくない」と否定を受けて。それがまたショックで。
―その幼稚園自体はどんなところだったのですか?
深田 本当に自由でよいところでした。だから多分、単純にその先生の好みに合わなかっただけなのでしょうけれど。
―怖いですね。些細な出来事のようにみえますけど、その人の可能性を狭めてしまうことも起こりかねないです
深田 そうですね。私はそのことが原因で創作が嫌いになることはありませんでしたが、イヤになってしまうという話もききますものね。昔から、逆境のほうがいいタイプで(笑)。たぶん、それ以上に楽しかったのだと思うのですが。
ペンギンの街をつくる、という
楽しい体験が「空間」への目覚めでした。
深田 そこの幼稚園で、「ぺそにそらんど」というペンギンの街をつくる、工作の時間みたいなものがあって(笑)。各々、折り紙でペンギンをつくって、それを使って、部屋や、家具や、公園や、生活空間のさまざまなものがある、リアルなペンギンの街をつくるというものなんです。その作業がとにかく楽しくて。そこで「空間」というか、テーマに目覚めたのかも知れないです。
―なるほど。
深田 何かこう、自分のいる世界とは違う小さい世界に入って、その世界を体験するというか、いろんなことを想像する、空想するということが良かったのでしょうね。
小学生の頃には間取り図が大好きに。
それが立体や空間の興味へと進化しました
深田 小学生の頃は間取り図を見るのが大好きでした。現実的な趣味に感じるでしょうけれど、私にとっては間取りが画に見えていたんです。平面が3Dで立ち上がってきて、上から覗き込んでいる、立体で考えているという感じ。そんなところから始まって美大へ進んで、大学4年生のときにはインテリアデザインを専攻していました。
木村 ムサ美だったよね?学科はどこになるの?
深田 空間演出デザイン学科というところです。インテリアと、ファッションと、舞台美術なども含んでいる学科でした。幅広いですが、空間同様、身にまとうもの、ファッションにも興味があって。
目に見えない照明を知ったことで、
手に触れられるジュエリーを目指すことに。
深田 学生時代にインテリア設計事務所に短期でインターンに行ったんです。そこで、インテリアをつくる上で空間の照明演出というものが、すごく大切かつ難しいということを知って、光に興味をもちました。
―卒業後はどうされたのですか?
深田 最初はインテリアの設計事務所にいて、そのあと照明デザインの研究所に移りました。その間も個人的に制作はしていたのですが、28歳のときにいよいよ転向しようと決めて。でも、照明に触れたからこその転向というか。気付くことは大きかったですね。
―照明って、自然光とミックスする感覚で考えるのですか?
深田 空間によります。もちろん、外光が入る空間の場合は、自然光を考慮して計画しますし、窓のない空間でしたら人工光だけで考えます。さまざまな要素が影響しあって成り立つものですので、本当に、繊細で奥深い世界です。
―そんなに奥深い世界を離れてジュエリーに?
深田 そうなんです。結局、私は手で触れられるもの、手の中で出来上がる世界をやりたいのだと気づいたんですね。もともとそこから始まって、一周してまた戻ったような感じでしょうか。広い空間から、また狭い小さいところに戻ってくるような。
いけばなの仕事をしている両親。
一期一会でものづくりに向き合うことが、
当たり前の家庭で育ちました。
木村 前にちらっと、ご両親がお花の先生をしているんだって伺ったけれど。
深田 ふたりとも、池坊のいけばなの教授をしています。祖父母もそうでした。いけばなは、古典にはじまり、さまざまな型がありますが、父は自由花を制作する機会が多くて。花器に生けるばかりのものではなく、インスタレーション的といいますか、私の子どものころは、かなり大きなものをつくっていましたね。
―ご自身は?
深田 今は習っていませんが、門前の小僧状態かもしれないです(笑)。常に家には花がある環境でしたし、華道に興味はあるので、もう少ししたらまた始めたいとも思うのですが、自分の中にはちょっと距離感のようなものもあるんです。
―でも日々、一度きりの花のバランスを見ながら育つって、すごいことですよね。
深田 私にとっては当たり前のことでしたけど、確かにそうですよね。小さい頃から、木の端材や、葉っぱなど、花材の余ったものをいじって切ったりくっつけたり、して遊んでいた日常があったからこそ、細かいことが好きになったのかも知れません。そもそも、我が家の制作場では、「何かが同じ」ということはありえないことでした。いけばなって、型が同じであっても、同じ花材は2つとないわけですから、すべて違ってくるわけで。
―シリーズのある「一点もののジュエリー」と、型がある「たった一つのいけばな」って、共通点がありそうです。なんというか、毎回「挑む」感じが。
深田 あ!そうかも。そうですね。一本勝負というか(笑)。
素材に関しては、当初から
廃材に魅力を感じていた
深田 私、端材というか廃材というか、いらなくなったものを再利用するということに興味を持っていて、卒業制作も、アクリル工場でいらなくなった切れ端や、何かの型を抜いたあと、もうごみになってしまって捨てられるようなものなどを集めてきて、それを組みなおして、透明の大きな壁を作ったんです。
木村 へえ、面白いね。見たいね。
深田 それに「間」という題をつけて、あるようでない、人と人との間というか、その空間に対して壁があることで、人と人との間であったり、壁と自分との間であったり、ひとそれぞれの距離感を感じてもらいたいというコンセプトで。作品自体は、いらなくなったもの、それを再生させるという思いもまた重ねていて。
―面白いですね。一期一会の緊張感ようなもので探り当てられた形。照明もそれに近いような気がしませんか?どこが合うのか探り探りみたいな部分が。
深田 そうですね。焦点をどこで合わせるか?でもその焦点はその時々でまた変わりますからね。
木村 形も面白いよね。たとえば指輪。マルしかないのに、ものすごいバリエーションがあるっていうのが。マルの究極をさぐっているかのような
深田 指輪の場合は、一つの形から無駄なくつくっていくというか、正方形の革から円を切り取っているんですね。で、その周りの残ったもので、また違う形のジュエリーをつくる。そういったことはテーマのひとつです。学生のときの工場めぐりでも、何かが抜け落ちた形をみて夢中になって。それ自体もすごく雰囲気があるし、つくるもののテーマになっているかもしれないです。
―間取り図が立体になってゆく感じとつながりがありますよね。
深田 確かに、自分の表現の方法って、追ってゆくと変化はしているのですが、芯の部分で考えていることというのはあまり変わっていないというか。そんな気もします。
たとえば、定番の指輪を作る作業。
創作のサイクルの中で無になる
―いろんな素材を使われていますが、試作されて、実際に身につけて変えてゆく感じなのですか?
深田 そうですね、たとえば革ひとつとっても、用途に合わせて種類を使い分けます。最初に試作の段階でも自分でつけてみて、育ててゆくというか、実際に使ってみて探るという。色に関しては季節感を意識していて、冬はわりと、ダークな色を基調に、同じ緑でも深めの椿の葉のようなイメージ。春夏になると、濃いピンクと黄緑とか、もうすこしテンションがあがる感じです。色あわせを考えるのがすごく楽しくて、作っている最中に次の配色が浮かんできて、もう次を早く作りたくなってしまって、頭が先走り、「はやくはやく」って、手が追いつかない様な感じになります。
―作業はおひとりで?定番の指輪などはどうやって作られているのですか?
深田 ひとりで行なっています。一枚一枚革を切るのは大変ではありますが、繰り返しの作業自体はもともと苦ではないのかも。続けていると、一瞬無になるのが好きなんです。単純なのがすごく心地いいんですよね。色のバランスや形を考えることと、無になって作業することのバランスが、自分のなかでよい具合に。
―アドレナリンが放出されているのかもしれないですね。
深田 そうかもしれない。スキーをすべっているような時と、脳の状態は同じ感じなのかも。ぼわーっと楽なんだけれど焦点は一つに合っていて、そこに、向かっているという。例えば、今日は10点仕上げると決めたら、とりあえずひたすら切ります。それで、色がある程度パレットのようにならんだところで、絵を描くのと同じ感覚で色を選んでいく。
―理にかなっているんですね。切って、精神統一してから色合わせして。
木村 アトリエはどんな感じなの?
深田 製作途中のものを周りにおいて、常にそれを考える、みたいな感じですね。迷っている状態のものを目に付くところに置いて。革を抜いたあとの残りや、何かよくわからない捨てる寸前のようなものやスケッチや……。
―いつか何かになるかも、というものに囲まれているんですね。
深田 一気に捨てることもありますけどね(笑)。しばられちゃって嫌になることがあるんですよ。切りかけた材料とかが混沌としてしまって、一回クリアにしようと。あ、でも大抵は、とりあえず引き出しにしまいます(笑)。寝かせて、熟成させようかな、みたいな。
今後も、変化に寄り添って
自然にやってゆきたい。
―今後について伺えればと思うのですが。
深田 革に限らず、どんな素材も扱っていると変化してゆくし、身体にもなじんでゆくし、そういった変化でその日その日が変わってゆくというか、絶対同じことってないですから。同じようでいても違う。それに寄り添う、自分らしいものづくりや表現、というのはずっとテーマですね。
木村 50、60になったら華道家になっていたりして(笑)。
深田 本当に原点にもどっちゃった!っていうね。それはないですかね(笑)。もちろん、今の表現の方法はコレだと思ってやっているのですが、本当に遠い未来になったときにそれはまた変わってくる可能性はありますね。そのあたりは決め付けず、しなやかにゆきたいところです(笑)。
●インタビューを終えて…
情熱的な語り口に吸い込まれそうなひとときでした。深田さんは、ご自身のなかにふわっと花が咲くような、独特の色づかいの着こなしをされる方ですが、お話を伺ってその秘密がわかりました。革にはじまり、サテンのリボン、端材、銀粘土など、さまざまな素材を使用しておられますが、公募展で受賞した銀粘土の作品「旅衣(たびごろも)」に関して、審査員の方が寄せたコメントがとても印象的でした。
「抽象的なテーマを具象化するとき、見る人が作品の向こうにさらに想像力がふくらむような空間をもっていることがとても魅力的です。たとえばある人は、このネックレスのむこうに、砂漠をゆくキャラバンを見るかもしれません……(中略)」記憶のかけらを集めて形にしたような深田さんのジュエリー。実は、対談後にひとつ購入してしまいました。
(構成・吉田佳代)
【プロフィール】
深田 恵里(ふかだ えり)
武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科 卒業。
インテリア設計事務所を経て、照明デザイン研究所に勤務。
2009年、ジュエリー制作を中心に作家活動を開始。
同時に
オリジナルブランドeri, (エリ)をスタート。
eri, www.erifukada.com
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そのほかの『ふむふむ、木村硝子店のなかまたち。』記事はこちらから。
ライターの吉田佳代さんによる、木村硝子店とその周りの人々のおはなしの連載。
吉田 佳代(よしだ かよ)
フリー編集者、ライター。
東京生まれ、立教大学卒業。
出版社にて女性誌の編集を経て、2005年に独立。食からつながる暮らし回りを丁寧に取材し、表現してゆくのが身上。料理本編集や取材のほか、生産者や職人にかんするインタビュー、ディレクションなども多い。媒体は主に、雑誌、単行本、広報誌、広告など。